三重県 松尾芭蕉の故郷 伊賀上野城 俳聖殿
伊賀上野城 白鳳城とも呼ばれる
国の史跡となっています。
余り大きくないお城です。
伊賀上野城は筒井定次によって築かれた城で、当初は五層であったが倒壊してしまい、また、元々この城は大阪城を守る出城の役目であったが、藤堂高虎時代からは大阪城を攻める側の城として位置づけられたのです。築城の名手と言われた藤堂高虎は、徳川家康の命により、豊臣氏を包囲する城として伊賀上野城を拡張しましたが、「大坂の役」によって豊臣氏が滅んだため工事は中止。完成を見ないままです。本丸、二の丸を除き中段のまま江戸期を終わり明治を迎えました。
現在の天守は模擬天守であり、しかも当初とは構造も違います。
今は三層です。しかし、コンクリートではなく木造です。それなりの趣はあります。
城内には藤堂高虎の黒漆塗の兜、また刀剣、鎧なども展示されています。
模擬天守は元衆議院議員の川崎 克氏の資材により、1935年(昭和10年)に三層で再建されました。
当城の城壁は高さ29.7mと日本有数の高さを誇る内堀である高石垣が特徴となっています。残念ですが 本丸、二の丸御殿は明治維新により取り壊され現存しません。
藤堂高虎の黒漆塗の兜
俳聖殿
俳諧の芭蕉翁の旅姿をあらわす聖堂で、昭和17年(1942)、松尾芭蕉の生誕三百年を記念して、故川崎克氏により上野公園に建立されました。
設計は築地本願寺などを設計した伊東忠太が行いました。上の丸い屋根は旅笠、木額「俳聖殿」が顔、下の八角形の庇は簑と衣装、それを支える柱は翁の杖として、芭蕉翁の旅姿をイメージさせる独特の形となっています。なんとなくその趣がありますね。一説によると、公儀隠密だとかいう話もありますが。私は違うと思います。いづれにしても多くの作品を編集したのは弟子達でした。
堂内には彫刻家長谷川栄作氏制作による芭蕉翁瞑想像の原型を、川崎氏が焼成した伊賀焼の芭蕉翁坐像を安置されています。この芭蕉翁坐像は、普段は公開されていません毎年10月12日の芭蕉翁の命日に行われる「芭蕉祭」の時に公開されます。旅の詩人芭蕉の姿と建築を一つのものとして表現した、日本でも他に類を見ない建物であり、平成22年(2010)12月24日に国重要文化財(建造物)の指定を受けました。