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越前 天空の城 大野城

天空の城 大野城
住所:福井県大野市城町3-109
☎:大野市観光振興室0779-66-1111
続日本の城100選になった。


雲海は
10月から4月末頃
11月頃が最も「天空の城 越前大野城」が出現する時期といわれています。
明け方から午前9時頃まで


・前日の湿度が高いこと (前日に雨が降った日など)


・前日の日中と翌日朝方の気温差が大きいこと (放射冷却現象が起こるような日)


・風が弱いこと
などのような条件を満たす必要があり、希少価値の高い現象です


雲海を見るには、越前大野城の西、約1kmにある戌山(戌山城址・標高324m 比高160m)の南出丸下から見ることができます。
大野市公式サイト  天空の城 | 天空の城 越前大野城 (onocastle.net) 参照


これ見ることできたら最高でしょうね
ここは熊が出るそうですからいかれるときは、クマよけのベルは持っていきましょう。


私たちは、この時は天空の城なんて知りませんでした。


JR越美北線、越前大野駅下車、徒歩約30分。
車が便利北陸自動車道、福井ICから国道158号を東へ1時間。麓に無料駐車場あり。


山頂まで徒歩約20分ほどかかりました。


歴史
越前大野城は、織田信長(おだ のぶなが)の家臣であった、金森長近(かなもり ながちか)によって、建てられました。
1575年(天正3年)、織田信長は、戦国時代の武将、金森長近と原政茂(はら ながより)に、越前国(大野市があるところ)で起きていた、一向一揆(いっこういっき)を、収束させました。


金森長近そのほうびとして、越前国大野郡のうち、3万石を与えられました。
金森長近は、はじめは、今の大野城から約1キロメートル離れた、戌山城(いぬやまじょう)に住んでいました。


越前大野城を作り始め
天正4年から4年の歳月を要して完成しました。当時の大野城は、2層3階建ての大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、外堀・内堀をめぐらし、城を守っていました。越前大野城は、安永4年(1775)の大火事で、本丸(お城の中心のところです)が焼けてしまい、寛政7年(1795)に再建。


明治時代になって、廃藩置県藩という制度により廃止され、石垣は残ったもののお城は取り壊されてしまいました。


石垣は野面積みという工法で積まれており、県指定文化財になっております。現在の城は、昭和43年(1968年]に旧士族であった萩原貞(はぎわらてい)氏の寄付によって再建された天守です。(鉄筋コンクリート)


大野城の天守に行くには、現在下記の4つのルートがあります。
南登り口・北登り口・西登り口・百閒坂(二の丸)
戦国時代や江戸時代には、天守に行くには、百閒坂(ひゃっけんざか)しかありませんでした。これは敵が来たとき守りやすいですね。


他の登り口は明治以降に造られたとのこと。


南登り口の入り口の鳥居

柳廼社 やなぎのやしろ
南登り口の入り口にある神社
柳廼社は、第7代の大野藩主であった、土井利忠(どいとしただ)の、雅号(がごう)であった、「柳涯(りゅうがい)」から名前を取っています。


「拝殿(はいでん)」には、北海道の開拓のための往路で使われた「大野丸」の絵が飾られている。


私たちはここから登りました。
ここを入っていくと、百閒坂と南口に分かれます。右側が百閒坂です。これきつそう
すべて階段になっています。


土井利忠像
左側を行くと広場にでます、そこには土井利忠像がお出迎えしてくれます。
しばらく進むと西口登り口と合流

お福池
越前大野城の前にある小さな池
お福池は、金森長近の妻であった、お福の名前から名付けらました。
金森長近は茶人千利休の門下だったようです

本丸門
黒い門があります。

天守


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