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滋賀県  小谷城  浅井長政VS織田信長

小谷城
2016.10.9


城には何もないので麓の資料館で聞く
資料館にはあまり見るものもない。
住所:滋賀県長浜市小谷郡上町139
☎・0749-78-2320

築城は大永5年(1525年)ごろ
駐車場は有料と無料があります。
私たちは、車で番所跡近くまで上り空きスペースに駐車しました。(シャトルバスの乗り場より少し奥)。


小谷城は、浅井氏三代の城。小谷山から南に伸びる尾根を城郭化した中世の山城で、たびたび歴史の表舞台に登場する。


小谷城は大きく4つのエリアに分かれている。小谷山から南に伸びる尾根に築かれた本城と呼ばれるエリア、その西側の清水谷(きよみずだに)、山頂の大嶽(おおづく)、別方向の尾根に伸びる福寿丸や山崎丸など。
また、小谷城内で絵になりやすい見どころは、黒金門跡、本丸石垣、大堀切、山王丸の大石垣、清水谷の土佐屋敷の石垣あたり。小谷城の全景なら、北陸自動車道下の農道からの撮影が良い。細い道だが車で入ることができる。小谷城と清水谷、そして大嶽



番所跡
平坦な場所ここが番所跡です。
当時は暗殺、城内かく乱が横行し(スパイ)ここで城内の出入りを厳重にチェックしたようです。


お茶屋馬洗い場・馬洗い場
番所からはいくつかの曲輪がありここから一直線になっている。





首捨石・黒金門・桜馬場
馬洗い池から少し登ると天文二年(1533年)六角氏に内通した今井左衛門尉秀信の首をさらしたことで有名な首捨石があります。
左右には石垣を築き中央に数段の設け黒門跡がある。こ門の前が桜馬場です。





琵琶湖の眺望



本丸(鐘ケ丸・大広間)
黒門を過ぎると公園のような広場があります。面積はおおよそ3000平方メートル・桜馬場同様張るのは桜の名所です。千畳敷とも呼ばれています。
本丸跡には天守など城の中心の建物がありました。南側に石済みが残っています。


その、北側に一段高いところが鐘ケ丸で何層かの櫓があった所です。古図には「天守共・鐘ケ丸共」と書かれています。ここから東に一段低いところが赤御屋敷跡。ここで浅井長政が天正元年9月1日29歳の若さで自害したと伝えられています。



中丸・刀洗池


本丸から北側へ進むと道の左側に城中のい井戸の一つ刀洗池と言われる小さな池があります。
この付近が中丸跡で、中丸は三段からなっている。東西30m、南北が60mほどあります。
六坊・大ずく・福寿丸・山崎丸
山王丸から続く山道を下ると、六坊に出る。ここは清水口から登ってきた搦め手と合流する



小谷城は浅井氏の居城であり、日本五大山城のひとつに数えられる堅固な山城として知られています。織田信長に攻められ、浅井氏が滅亡した最後の城で、浅井長政とお市の方との悲劇の舞台として語られることが多い城です。その後、小谷城は羽柴秀吉に与えられますが、秀吉は長浜城をあらたに築いたため、小谷城は廃城となりました。その際、資材の大半は長浜城築城のために使われたといわれています。

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