ほんわか人生の旅

全国各地の観光 古典文学 映画観賞 健康

奈良県  新薬師寺 日本最古の12神将

2020年2月24日公開

2021年9月17日一部記事修整リライトしました。


新薬師寺

住所:奈良県奈良市高畑町1352
山号:日輪山
宗派:華厳宗
本尊:薬師如来(国宝)
創建:8世紀中期
開基:光明皇后
電話:0742-22-3736


駐車場:6台程度 しかし空いています。
小さなお寺ですが、仏像を見ると感激します。


このせまい道のつきたりの右側です。
奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えています。 
見所はやはり十二神将像だと私は思います。
東大寺方面からくると、志賀直哉旧宅から細い道を右折し突き当り右側にあります。


木造薬師如来坐像
本尊。国宝に指定されています。


像高191.5センチメートル。制作年代は記録がないためわかりません、坐像で高さ2メートル近い大きなもので、カヤの一木から木取りし、これに脚部、両腕の一部などを矧ぎ付ける。矧ぎ付け材も同じ材木から木取りされ、木目を縦方向に合わせるように造られているのです。


一般の仏像に比べ眼が大きいのが特徴で、「聖武天皇が光明皇后の眼病平癒を祈願して新薬師寺を創建した」との伝承もあります。

塑造十二神将立像
12体のうち後補の1体を除く11体が国宝に指定されています。十二神将は薬師如来の家来である。円形の仏壇上、中央の本尊薬師如来像を囲んで立っています。


このような配置はあまり見られない、普通は横並びか、それぞれに分かれているものが多いです。ここの十二神将は、木造の本尊とは異なり、奈良時代に盛んに造られた塑像です。


これらの像は高円山麓にあった岩淵寺から移されたとする言い伝えもありますが、詳細は不明のまま。12体のうち体の台座裏桟から「天平」云々の墨書が見出されたことなどから、天平期の作と言うのが一般的だそうです。


同じ塑造の傑作として知られる東大寺戒壇院の四天王像の造形と比較すると、ポーズが大振りになっており、東大寺像よりも時代が少し下ると見られています。


12体のうちの1体(宮毘羅(くびら)大将像、寺伝では波夷羅(はいら)大将像)のみは江戸時代末期の地震で倒壊し、昭和6年(1931年)に細谷而楽が補作したもので、国宝指定外となっている、しかし大差はないのにと?


そろそろ国宝でよいのではないでしょうか。本尊に向かってすぐ右に立つ像(迷企羅(めきら)大将像、寺伝では伐折羅(ばさら)大将像)は日本の500円切手のデザインに使用されているので見てください。



四天王像などと同様、甲冑を着けた武将の姿で表され、十二体それぞれの個性を表情・ポーズなどで彫り分け、群像として変化を持たせた作例が多いです。


平安期以降の作品で頭上に十二支の動物を戴くものが多いが。しかし十二体の像の持物(じもつ)、ポーズ等は必ずしも一定の様式でなく、各像を区別することはほとんど不可能ではないでしょうか、私も色々興味があるので見ていますが、そうなのかとその場は思うのですが、絵葉書、または写真で比べると違いが判るのですね。特にポーズ、持物が違うことが多いのです。


日本では奈良・新薬師寺の等身大の十二神将像が、奈良時代(8世紀)に作られた最古の作であるとともに造形的にも優れたものとして名高く、以降も数多く制作されています。


多くの場合、薬師如来を本尊とする仏堂において、薬師如来の左右に6体ずつ、あるいは仏壇の前方に横一列に安置されるが、新薬師寺のように立像で円形の仏壇周囲をぐるりと取り囲んで配置される場合もあれば薬師如来像の光背や台座部分に十二神将を表す場合もあるなど、表現形態はさまざまである。経堂の輪堂を持ち上げているようなポーズの物もあります。


それぞれ干支と関係しているので、自分の干支をさがしてみていると感激するのでは。


最後迄お読み頂きありがとうございました

×

非ログインユーザーとして返信する