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京都  清凉寺  嵯峨 嵐山

清涼寺
住所:京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
山号:五台山
宗派:浄土宗
創建:寛和3年(987年)
開基:奝然 ちょうねん
本尊:釈迦如来立像(国宝)
嵯峨釈迦堂としても知られています
電話:075-861-0304
駐車場:あり 800円 少し高いですね
       ここに駐車し周辺を散策しましょう。
京福嵐山駅より徒歩5分
2012.9.16

清涼寺は、棲霞寺(せいかじ)と清凉寺という二つの寺院が一つになったものです。
源融の別荘だった棲霞寺 (せいかじ)
後記の阿弥陀堂を参照してください。


一つになった寺院
平安末期から鎌倉時代にかけて、奝然が持ち帰った釈迦如来立像は多くの人々の信仰を集めました。浄土宗の開祖である法然上人も、24歳の時に釈迦如来立像をお祀りするお堂で修業をしています。
室町時代に起こった応仁の乱で二寺院の伽藍はすべて焼失してしまいますが、1602年に豊臣秀頼の寄進により再建されましたが、その後も天災や火災により伽藍は焼失と再建を繰り返しました。
江戸時代になると、徳川家康が浄土宗に帰依していたことから清凉寺は正式に浄土宗の寺院となります。がその一方で棲霞寺は次第に衰退していき、ついに釈迦三尊像と釈迦三尊像を祀る阿弥陀堂を残すのみとなってしまいました。


三国伝来生身釈迦如来像
東大寺出身の僧侶、奝然(ちょうねん)が宋で作らせた釈迦如来立像を祀るために、この仏像を安置する寺院を建立しようと活動を始めましたが、比叡山延暦寺の反対にあって叶いませんでした。奝然の死後、弟子の盛算(じょうさん)がこの願いを引き継ぎ、1016年に棲霞寺の境内に寺院を建立します。これが、清凉寺の始まりです。
後記の本堂(釈迦堂)を参照してください。

仁王門  (京都府指定文化財)
建築年代不明でたびたび焼失、安永6年(1776年)再建されました。和様と禅宗様が入り混じった二層の門で、一層(一階)には室町時代に作られた仁王像を祀っています。二層(二階)に祀られてるのは十六羅漢です。門の左右には阿吽の金剛力士像(室町時代後期)仁王門は寺院の表玄関であると同時に、嵯峨野の中心地に位置しているため、嵯峨野の顔ともいわれています。門には「五台山」の額が掛かかっています。


本堂から庫裏に行く渡り廊下

本堂(釈迦堂)(京都府指定文化財)
天慶8年(945)重明親王妃が棲霞寺(せいかじ)に建立し藤原氏に寄進しました。その時等身大の釈迦像が安置された。これが釈迦堂の由来となります。 


清凉寺の本堂は釈迦堂とも呼ばれ、国宝の三国伝来生身釈迦如来像をお祀りしています。本堂は、1716年に再建されました。門と同じく和様と禅宗様を折衷した建物です。
釈迦如来立像が安置されている内々陣の宮殿厨子は、五代将軍徳川綱吉とその生母である桂昌院(けいしょういん)の寄進によるものです。本堂正面楣上には黄檗隠元(おうばくいんげん)禅師筆による栴檀瑞像(せんだんずいぞう)の大額が掲げられています。

阿弥陀堂(阿弥陀三尊)国宝
本堂の東側に位置する阿弥陀堂は、棲霞寺の名残です。河原左大臣、源融(みなもとのとおる)光 源氏のモデルとも)嵯峨天皇より仙洞(嵯峨院)の一部を別荘として賜り棲霞観(寺)を建立。息子の昇が建立(寛平7年(895)御堂を建立しました。これが阿弥陀堂の始まりです。清凉寺の発展と反比例するように棲霞寺は勢いを失ってしまい、阿弥陀堂だけが残りました。

多宝塔(京都府指定文化財)
元禄13年(1700)江戸護国寺での出張開眼の際、江戸の老若貴賎の寄進により建造
元禄16年に廻漕建立された。背後にあるのは宝篋印塔は源融公(みなもとのとおる)
の墓です。


嵯峨天皇・檀林皇后宝燈
北側の宝篋印塔が嵯峨天皇で、南側が檀林皇后の宝燈


開山:奝然上人の墓もあります。
入場料200円

  
一切経蔵に納められている輪蔵
一切経蔵には、お経が納められている輪蔵(りんぞう)という巨大な厨子(ずし)が安置されています。輪蔵は、一度回転させると一切経(明版)を一読した効果があるといわれ、平安時代から室町時代にかけて盛んに造られました。現在は非公開となっている寺院が多い中、清凉寺の輪蔵は有料で回すことができます。高さが2m近くある巨大なもので、美しい装飾が施されているのが特徴です。経蔵の前には笑い仏と傅大士父子(ふだいし)像が祀られています。

正面 大士坐像  両脇 善浄・普現像  四隅四天王像
私たちも、一回転してみました。

神仏習合の名残 愛宕権現社 火災防止の神様
愛宕権現社(あたごごんげんしゃ)は慶俊増都が、鷹ヶ峰から愛宕山山頂に神社を移す際、一度ここでお祀りをした跡地です。天徳5年(1716)大修理が行われた。神仏分離令が発布される以前は寺院の境内に神社があることも珍しくなく、愛宕権現神社の神事も清凉寺境内で行われていたと伝えられています。
神仏分離令以前は本地将軍・竜樹(りゅうじゅ)・富婁那(ふるな)・毘沙門天の四座を祀り古来より火除の神と尊崇されています。 
 

聖徳太子殿
法隆寺の夢殿を模して建てられたことから、聖徳太子殿という名前がついています。別名を八角堂ともいい、文字どおり八角形をした建物です。


狂言が演じられる狂言堂
狂言堂では、春と秋に嵯峨野大念仏狂言が演じられます。能の間に演じられる狂言とは違い、一種の無言劇です。壬生狂言と同じ流れを組み、円覚上人(えんかくじょうにん)によって造られたと伝わっています。



鐘楼
鐘楼は江戸時代の建立、吊るされた梵鐘には、室町時代の将軍足利義政・日野富子・征夷代将軍義尚・堺の商人などの銘が刻まれています。文明16年(1484)

宝珠に龍が巻き付いた珍しい。

弁天堂
境内にある放生池の中には、弁天堂が建っています。小さな社で、弁天様をお祀りするものです。
大方丈付属の書院
清凉寺の大方丈は、住職が暮らす場所としての役割を果たしていました。書院は方丈に付属しており、宇喜多秀家の正室樹正院(じゅせいいん)が隠居した場所です。大方丈には、小堀遠州が作庭した美しい庭が面しています。

八宗輪池
この池を巡って弘法大師が南都八宗の学僧を論破されたという言い伝えがあります。
この池の東にある石仏は背面に多宝塔を刻み空地上人が造ったと言われています。

豊臣秀頼公の首塚
昭和55年大阪城三の丸から発掘出土した秀頼公の首を昭和58年秀頼公の由緒を持つ当寺に収まられました。首には介錯の跡があるそうです。


霊宝館
霊宝館は寺宝を収蔵する宝物殿です。国宝である旧棲霞寺本尊阿弥陀三尊像や重要文化財の四天王像・木造の地蔵菩薩立像など、国宝や重要文化財が数多く収蔵されています。公開時期は毎年4・5・10・11月です。

京都では有名な あぶりもち

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