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京都  宝筐院  嵯峨嵐山

小楠公御首塚(しょうなんこうおんくびつか)道標
清涼寺の門前にありました。
建立:1938年
建立者:六鹿清治


宝筐院
住所:京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1
山号:善入山
宗派:臨済宗
本尊:千手観世音菩薩
駐車場;清涼寺を利用
公共交通: JR山陰線嵯峨嵐山駅下車、徒歩約15分
このお寺は大型カメラ、三脚禁止です、スマホかコンパクトカメラの持ち込みのみ。

清凉寺門前左手に建っています。

門前の石標には「小楠公菩提寺 宝篋院」と記されています。
紅葉の名所としても知られているのですが、「小楠公」の首塚がある寺としても有名なのです。
かつて「楠公(なんこう)」とは南北朝時代の武将・楠木正成を指し「小楠公」といえばその子・楠木正行(まさつら)を指します。後醍醐天皇(南朝)方についた親子は、忠孝の模範としされていました。このお寺は京都・嵐山の中でも、特に紅葉が美しい寺院として知られています。


紅葉の季節に来られると、清凉寺・宝筐院・二尊院他、徒歩の範囲に多くのお寺を満喫できます。自転車で廻るのが良いですよ。車で行くと二尊院(10台)はおそらく駐車は困難かと思います。

日本の南北朝時代の代表的人物である北朝方の足利義詮(あしかがよしあきら)と南朝方の楠木正行(くすのきまさつら)の墓があります。
このお寺は、この南北朝時代の仇敵同士が仲良く眠る、非常に珍しいお寺です。
(下記に詳細)


お寺の名前である「宝筐院」は、このお寺の発展に寄与した足利義詮の院号から来ています。


この親子を有名にしたのが「桜井の別れ」です。最後の合戦に赴く正成は、桜井(大阪府島本町)で、供をしていた11歳の正行を河内の地に返すのでした。この涙の別離が「桜井の別れ」です。「太平記」


父・正成は湊川の戦いで敗死し、子・正行も貞和4年(1348)に四条畷の戦いで高師直と戦って敗れ、弟の正時と刺し違えて会えない最期を迎えます。
寺伝によると、宝筐院の前身である善入寺を中興した黙庵禅師が、正行の首級を同寺に葬ったといいます。いま宝筐院の本堂には、時代は不明であるが「黙庵禅師と楠木正行」「四条畷合戦の図」という2面の絵が掛けられています。


二つ引両紋と菊水紋


二つの石塔が並んでいます。
右の五輪塔が楠木正行のお墓です。左の塔は、足利義詮の墓。義詮は尊氏の子息で北朝方なわけですが、黙庵から正行の話を聞き、そばに葬るように依頼したと寺伝にあります。敵同士が仲良く並んでいるのです。
前には富岡鉄斎作の石灯篭があります。

本堂の横には回遊式の庭園が広がっています。

お堂にかかっていた二枚の絵
この絵は、黙庵周論禅師が正行にあっている図です。


四条啜啜の楠木正幸合戦の絵  この戦いで正行は戦死


この寺の門の通りを右に行きますと、二尊院があります。

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