ほんわか人生の旅

全国各地の観光 古典文学 映画観賞 健康

京都   詩仙堂 (丈山寺 ) 日本初のししおどし

詩仙堂 (丈山寺 )


住所:京都府京都市左京区一乗寺門口町27
山号:六六山
宗派:曹洞宗
創建:寛永18年(1641年)
開基:石川丈山
別名:丈山寺
正式名称:六六山詩仙堂丈山寺凹凸窠(おうとつか)
電話:
駐車場:あります。

石川丈山について
珍しい人物なので下記に調べたことを書きます。
石川丈山像(『先哲像伝』より)
石川 丈山(いしかわ じょうざん、天正11年(1583年) - 寛文12年5月23日(1672年6月18日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で文人。大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。
江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた人物で、幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、煎茶の祖ともいわれています。



詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘です。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による。 詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられています。
現在は中国の禅宗五家、曹洞宗の(そうとうしゅう)寺院でもあるため「丈山寺」とも呼ばれています。

一般的に詩仙堂、と呼ばれていますが、実は、詩仙堂というのは内部にある一室の名前で、六六山詩仙堂丈山寺凹凸窠(おうとつか)というのが、正式名称です。
凹凸窠(おうとつか)の窠は、ウ冠に果と書きます。
詩仙堂は正確には凹凸窠 (おうとつか) という。凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている。 丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸窠十境と見立てた。




建物
寛永18年 (1641年)、丈山59歳の時に造営され、丈山は寛文12年 (1672年)、90歳で没するまでここで詩歌三昧の生活を送ったようです。
「小有洞」という門をくぐり、竹林の中の道を行くと、石段の上に「老梅関」という門があります。その先に詩仙堂の玄関があります。玄関上は3階建の「嘯月楼」となっています、その右手 (西側) には瓦敷の仏間と六畳、八畳の座敷、左手には四畳半の「詩仙の間」、「読書の間」など多くの部屋がある。これらの建物のうち、嘯月楼と詩仙の間の部分が丈山当時の建築で、他は後世の改築とのこと。 


庭園
庭園造りの名手でもある丈山自身により設計された庭は四季折々に楽しむことができ、特に春 (5月下旬) のサツキと秋 (11月下旬) の紅葉が有名で観光客が多く訪れます。
この庭の散策はお寺備え付けのスリッパに履き替えて散策します。






日本初のししおどし
一般的にはししおどしとして知られています。添水 (そうず) と呼ばれる仕掛けにより時折り響く音は、鹿や猪の進入を防ぐという実用性がありますが、私はやはり静寂な庭の重要なアクセントではないかと思います。この仕掛けは丈山も好んだといわれています。
この様な仕掛けは京都市内に限らず多くの寺にあります。
緑に囲まれた静寂の寺にこそふさわしい仕掛けです。

×

非ログインユーザーとして返信する