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京都 常照寺 吉野太夫 吉野窓

2021年10月27日記事修正しリライトしました。
常照寺 じょうしょうじ
住所:京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町45
山号:寂光山
宗派:日蓮宗
本尊:三宝尊  久遠実成本師釈迦牟尼仏
創建:1616年(元和2年)
開基:本阿弥光嵯



吉野太夫 23歳のとき寄進


常照寺と言えば、この朱塗りの山門です。これを吉野の赤門と言います。


この門は吉野太夫が日乾上人に帰依して、この朱塗り門を寄進したということです。
吉野太夫は、京都に代々伝わる太夫の名跡で、この常照寺の朱門を寄進したのは二代目ということです。  (広辞苑)


常照寺は本阿弥光悦が徳川家康より拝領した光悦村の一部です。
常照寺の前身である寺は、本阿弥光嵯は久遠寺・日乾を招いて、法華の鎮所を建立したことに始まります。


その後、日蓮宗の檀林(鷹峰檀林)開かれ、最盛期には学僧200余人が学んでいたと記録が残っています。秋口から紅葉の名所、ススキの名所として知られています。
この近くには、光悦寺もあり、観光客は多く訪れるところです。
また、前回ご紹介した、金戒光明寺から車で約15分と近場です。車なら一日で回れる距離です。

女性の心の象徴「帯」に感謝し祈りをささげるために建立されたものだそうです。
(木札案内に記入)


吉野太夫は井原西鶴「好色一代男」 吉川英治「宮本武蔵」にも登場する才色兼備の太夫だったということ、豪商、灰屋紹益(はいやじょうえき)により身請けされ結婚となってますね。

本堂の扁額が「栴檀林」となっていますが、宗派的にはこの扁額はおかしいのですが。本当は、曹洞宗で見かける扁額です。
元々この寺は、日乾上人が寛永4年(1627年)に僧侶の学問所として開設した鷹峯檀林がこの常照寺の前身となっていたことが起因です。その学問所時代の時からこの扁額が使われてたということになります。 


 昔、鷹峯檀林に智涌という学僧がいて、ある晩学頭が智涌の部屋をのぞくと、白い狐が
一心に書見をしていた、そう智涌という学僧は実は白狐だったというわけで、姿を見られた白狐は能勢妙見山に登り修行を積んでこの常富大菩薩となったと伝わります。




開山廟  改組 日乾上人をお祀りしています。
中には五輪塔が納められている。
この奥に吉野太夫の墓があります。


吉野太夫の遺芳とあります。

本堂の裏にある比翼塚です。吉野太夫と灰屋紹益の供養塔で、片岡仁左衛門らにより
建立された。

歌舞伎俳優や芸能人の参拝者が多いようです。


境内一番奥にある鬼子母神堂

茶席  遺芳庵

遺芳庵  有名な吉野窓 吉野太夫が好んだから吉野窓と呼ばれるようになりました。
窓の下は水平となっています。この形は不完全さを表しています。
他の寺の吉野窓は真ん丸です。

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